働く喜び♬  〜part4〜

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そして現場では看護師と利用者さんではなく
母としての子育ての先輩
長年つれそう夫婦のパートナーシップの先輩として
はたまたわかりかねる男心を伝授してくれる男性の心理評論家として(笑)
さらには社会人としての先輩として
そして歳を重ねていくことを先に身体で体験している先輩として

私たちのほうが教えていただくことが山ほどあるのです。

ある人はいくつになっても人は変われるという希望と可能性を生きる姿でみせてくれました。

ある人は孤独こそが身体や心を脅かしだからこそ 出逢う他人である私たちであっても愛情のやりとりはできるのだということ孤独ではないと思える安心を 例え 限られたいっしょに過ごす時間であったとしても創ることはできるのだということを教えてくれました。

ある人は息子から母へ娘から母へ嫁から義父への  無限大の愛を。大切な家族を看取るということを心の揺れもひっくるめて悲しいけどそれでもやりきることもできるというのを教えてくれました。

ある人は病気になり障害をもって見えた世界を私たちに教えてくれます。ふつうこそあたりまえこそ本当はすごく幸せであるということを語ってくださいます。

ある人は認知症になって新しいことが覚えられなくてもご自身の戦争体験から戦争は絶対にあかん。自由と平和がある今こそ幸せであるということを教えてくださいます。

ある人は他人からはじまった夫婦がお互いを思いやりながら最後の時間を過ごす姿から愛を育める喜びを教えてくださいます。

ある人は子どもの母への絶対的愛情の存在を子どもながらに健気な姿で教えてくれて自分のなかにもあった愛を思い出させてくれます。

ある人は亡くなってのちその   のこされたご家族さらに その先の仕事つながりまでご縁をつなぎつづけてくださってまさにいのちのバトンでご縁を  いまだに拡げつづけてくださっています。

ある人は死に様でこんな素晴らしい逝きかたがあるのかと死ぬことへ希望カラダへの信頼を教えてくださいました。

仕事を通してお金をいただきながら

厳しさ温かさ

ふがいなさ

悔しさ

コントロールおよばない出来事

思い通りにいかないこと

力不足…
罪悪感
劣等感
赦し
成長
魅力
人間力
進化
真実
誠意
つながり
幸せ
喜び

人体の神秘
希望
信頼


産まれること

生きること

死ぬこと


色んなことを教えてもらえて自分の人生までも豊かにしてくれる
働く喜びを体感させてくれる
この訪問看護という仕事が大好きです✨

そんなスタイル訪問看護ステーション
一緒に働いて下さる仲間を募集中です♬

正看護師作業療法士理学療法士
資格をお持ちの方でスタイル訪問看護ステーションに興味関心がありましたらお気軽にお問い合わせください。

働く喜び♬

働く喜び♬

皆さんはご自身の仕事 好きですか?
働く喜びって感じていますか?

私は普段訪問看護の仕事をしています。


看護師の仕事ってしんどくてきつくて大変でしょう…??


看護師の仕事をしているとお話しするとそんな 言葉かけをいただくことが多いのですが

この仕事私はものすごく大好きで

面白くて魅力的で

働く喜びがありまくりなのです。


現実は生きること

死にゆくことを目の当たりにする 厳しさもあります。
でも 病気や障害があったとしても

価値はいのちの長さだけにあるのではなく

いのちの豊かさにもあり

生きる力は  ある  ということを見せてもらうなかで


人のなかにある癒す力生きる力に

感動しっぱなしなのです。

生きることは

答えのないこたえを自分だけの正解を求めて

探しにいく旅のようなものです。
それをいっしょに隣で見守ること。

苦しい場面もあるとしても

その一人ひとりの旅物語の

名脇役としてひっそりと

でも 必要とされる限り

希望と可能性を 探し続けることを

伴走したり

おしたり

ひっぱったり

時には立ち止まったり

距離をおいたり

色んな方法を使いながらチャレンジしつづけていく。

そんな看護の仕事が難しいからこそ

チャレンジしがいがあるわけです(笑)

そしてその  難しいことにチャレンジしていけるのは
私と 利用者さんの間に 循環があるからです。
一方向の関係性ではなく

お互いが  

お互いを想い逢えるつながりを感じることができるからです。
私は看護の専門職として

利用者さんのご自宅にうかがいますが
それは ほんの一部分の世界を

ほんのすこし詳しく知っているだけのこと。
それを 仕事として必要とされるところに

お渡ししにいくわけです。
一方向に渡しているようでいて
実は すごく大きな循環が うまれています。

だからこそ  私は

身体がどんなに疲れていても

心は満たされていて

この仕事に出逢えたこと

目の前にご縁ある人たちと過ごせる時間が

幸せすぎるのです✨

ヒトの身体こそ 完璧なのかもしれない

ヒトの身体こそ完璧なのかもしれない

私は普段訪問看護師として
さまざまないのちの終わりに出逢います。

病院時代の『死』はとても怖いことだったし
その怖さも いのちが終わることの怖さというよりも
自分がその場面にあたってちゃんと対応できなかったらどうしよう?という自分が仕事として責任を背負うことへの怖さの方が大きくて逃げよう、避けようとしてきました。
なによりも人が死ぬこと。この世からその人の身体も心も声もなくなってしまうということを想像できていませんでした。

命を救うべき看護師の私にとっては、死はタブーであり、遠ざけるべきものであり、忌み嫌うものでした。
産まれてきたら必ず 100%人は死ぬということを直視することなく
救うことは学んでも、うまくいのち終えるため着地していくことは学んできませんでした。

なので私が見てきた医療や治療は

その人の生きてきた背景を考慮して、生きることの質を問いながら、治療を選択してもらうことよりも

命の時間をできるだけ長くすることしか、選択肢がなく

過剰な点滴や栄養が
お腹や胸や身体に水がたまり、むくんでしまうことになったり
痰が増えて吸引という処置が必要になってしまうなど
身体に負担のかかる医療があるということは、考えもしてきませんでした。

しかし訪問看護という仕事に出逢い

過剰な点滴や医療をしなくても
最後まで家族のつくったご飯を口にすることができたり
たとえ食べられなくなったとしても
不要な吸引や浮腫みなく
ほんとうに枯れるように

でも  とても美しいままで、いのちを終えていく方々に出逢い
医療のありかたを、根本から考えさせられる体験をしました。

すべての医療がいらないのではなく
感染症や手術など医学の発展のお陰で救われる命があるのも事実です。

医療に携わる仕事をしているということは
医療のメリットだけをおしつけて、こちらの思い通りにコントロールするのではなく
デメリットもきちんとわかった上で示して
今 必要なのは何か?きちんと選べるように選択肢を誠実に手渡すことが求められます。

さらに医療を受ける側も素人だから  おまかせではなく、自分の責任と判断のもと
必要な医療や治療を、自分が 選んで、自分が 行動していくという感覚を、育んでいくことも大切になります。

ヒトの歴史をみてみると
旧人類が登場したのが、大体50万~30万年前くらいといわれており
そこからでも もう 人類の歴史としては50万年くらいまえから
人々が産まれて、死んできたわけです。
医療の進歩や発展なんて、ほんの百年ほどのものだとしたら
50万年もの歴史のあいだ医療もつかわずに産まれて死んできたということで
ヒトは、おそらく遺伝子のなかに

きちんと
産まれて生きて死ぬ  ためのプログラミングも進化も、してきているように思うのです。
そうだとしたら、死ぬ力もきちんと 完璧に、私たち一人ひとりの身体のなかに備わっているのではないか?と思います。

まさに在宅での看取りは医療の力も借りますが
それよりもなによりも
自らが自らを癒して 生きる力と
家族や大切な人たちが癒して  生かす力を発揮しつつ

身体的な痛みや苦しみは西洋医学の力をうまくかりながら

完璧に死ぬ力も最期に見せてくださいます。

たくさんの大切な人に囲まれて旅立ちたい人はそんな時間や環境を選び

二人きりのお別れをしたい人はちゃんとお別れをしたい人と過ごす時間を選んで旅立たれます。

だれにも迷惑をかけず自分のペースで逝きたい人は家族のほんのわずか目をはなした時間に旅立たれます。

人の身体こそ完璧なのかもしれない

そう 信じさせてくれるような旅立ちに

ご縁をつないで 紡いで出逢ってくださった
たくさんの人生の先輩方から


人の死も自分の死も
みんな行く道なんだから
なんとかなるよ~
大丈夫!!と
言われているような。


そんな
身体のしくみも 生きる姿逝く姿で教えてくださいます。

教科書にもないし

死にゆくプロセスなんて死んだヒトにしか語れない話かもしれないけど

それでも訪問看護の仕事をとおして、ヒトの希望や可能性を日々教えてもらえる毎日が、面白くて、有り難くて、尊くて、幸せでたまりません。

これからもまだまだヒトの身体の神秘にふれつつ
現実の毎日のなかに仕事をとおして
安心や信頼を増やしていくお手伝いをしていきたいと思います。

そして今 目の前にある

あたりまえのいとおしい今日を
限りあるいのちの時間を重ねられている奇跡に感謝しながら


お一人お一人のもとに今日も向かいます♪

限りある いのちの時間

私は看護師として普段 訪問看護の仕事をしています。病気や障害をお持ちの利用者さんやご家族の生活の場である  ご自宅に伺い医療や看護を提供しています。

そんな仕事を  通して。

病気や障害   さらに  寿命って年齢もタイミングもなにも考慮されることなくいきなり  やってきて
その物語は誰一人として同じストーリーのないオリジナルであり
一人ひとりに
はじまるから終わりがある。
限りある いのちの時間があるのだということを 教わります。

病院看護師のときには
看護師としてたくさんの終わりを迎えるいのちを看てきていたにもかかわらず
私は『死ぬ』ということ『いのちの時間は有限である』ということ を どこか他人事として受け止めていて
どこかで自分の大切な人や自分のいのちは終わらないような
終わるとしてもまだまだ 遠い先の話だと勝手に   思っていました。

それが15年前の主人の白血病体験を通して
年齢や環境や置かれた状況に関係なく
ありえないようなタイミングであったとしても
病院や障害は自分事になりうるのだということを思い知らされます。

普段から病気や障害の方々と仕事として毎日関わり看護師として身近に知っているはずにもかかわらず
まさか自分の大切な人が死ぬかもしれないだなんて。
しかも新婚ホヤホヤ。お腹には赤ちゃんがいる幸せ真っ只中にやってきた出来事でした。

でもそのお陰で
限りがある”いのち”の時間がそれぞれのなかにあるということを知りました。

私はその終わりがいつやってくるかわからないからこそ
諦めたり遠ざけたり無いことにしたり怖がったりするのではなく
限りあるからこそ
自分も出逢い ご縁ある人も
重ねている いのちの時間を尊び
悩みごとに費やす時間よりも
笑顔や穏やかな時間や和やかな時間やチャレンジの時間を
少しでも 多く持てるように過ごしていきたいなぁ…

と思います。

そして在宅という場で   出逢うたくさんの利用者さんやご家族の大切ないのちの時間を
いっしょに重ねさせていただくなかで
誰一人として同じシナリオはない
いのちの時間に
いのちの
厳しさや儚さ尊さやいとおしさ
色んなものをギフトとしてうけとります。
嬉しい♪楽しい♪ばかりではないからこそ
現実の
生きる  いのち を
この目に心に  焼きつけて
バトンを渡していくことを託されているような気持ちにもなります。

“誠実でありなさい”
“愛をもって のぞみなさい”

まだまだたくさんの教えを体験とともに受けとるからには
私が仲介者となり
また   次の限りあるいのちの時間を生きる人たちに
渡していきたいと思います。

あなたの 大切な人とあなたが  重ねるお互いの限りあるいのちの時間をどんなふうに過ごしますか???

あたなの限りある いのちの時間をどんなふうに使いますか???