訪問看護のお話をさせていただきました

10月17日 高槻保健師会にて

育児に困難を抱えてる母親へ よりそう支援

              ~ 訪問看護師として ~というテーマをいただき

お話をさせていただきました。

 

 

母子保健(4ヶ月児健診、1歳半健診等)や就学時健診、

さらに成人の特定健診等に従事されている、

保健師さん、看護師さん、栄養士さん、ママサポーターの方など

他職種の方々が聞いてくださる場にお招きいただきました。

 

皆さんが、日々関わっておられるのは、

ほんのわずかな限られた時間と回数の関わりの中で、

困難を抱えているお母さんやお子さんのケースを見つけ出し

支援につなげていくという立ち位置です。

 

 

ご自宅に訪問する訪問看護師の立場で

日々の関わり方は違っても

一人のお母さん、お子さん、ご家族の

ご家庭でのご様子や

生活をイメージしてもらい

繋がりあるイメージで捉えてもらえるようなお話も入れつつ

支援て何だろう?という

基本に 今一度立ち返ってみる機会とすること。

 

 

そして

答えのない答えに日々向き合う

支援に携わる支援者本人にこそ

ケアが必要であること。

 

支援者がコンディションをまず整えた上で

困りごとを持つ人の前に立つことで

見せかけの問題に振り回されることなく

未来に向けて解決できるための

本当の問題点を見つけ出し

解決への行動を一緒に探していく必要性があること。

 

最後には

支援者が

これでいいのだ!!と思って

現場の皆さんの前に立てるような

きっかけを届けたいと思いながら

2時間お話をさせていただきました。

 

 

グループ内でのディスカッションも

皆さんが自分ごとで参加して

活発にお話しあってくださる姿も嬉しく

 

 

いただいた感想も

 

 

支援を始めた頃の気持ちを思い出せた

 

器の話が面白かった

 

自分を満たすことから始めてみたい

 

生きるとは

命とは

支援とは

自分を大切にするとは振り返る機会となった

 

などなど

届けたい想いをしっかりと受け取っていただける感想をもらえて

私の方が とても嬉しくなりました。

 

 

私たちにできるのは

諦めずにそばにい続けること。

 

変化や回復のタイミングは人それぞれにあり

一人一人の中に

もう、すでに

こころも

からだも 

癒し

豊かに生きるための力は

備わっています。

 

それを 引き出すようなきっかけを渡し続けること。

 

人は人を浴びて人になる

という

児童精神科医の

夏刈郁子先生の言葉もご紹介しながら

人との繋がりって

本当に力となるということもお伝えできました。

 

 

現場での体験こそ

教えがあり

学びであり。

1日1日

目の前の

利用者さんたちが教えてくれることを

丁寧にキャッチしながら

再現性ある支援を目指して。

答えのない答えに誠実に取り組んでいくことを

私自身が振り返る機会をいただけました。

 

 

素晴らしい機会を与えていただき

皆さんとご一緒できて  嬉しかったです。

ご縁に感謝です。

 

 

幸せを願って・・・

スタイル訪問看護ステーション。

まだ まだ できることはあるはずです。

日々丁寧に 重ねていきます。

心の矢印は どちらに向くのか?

心の矢印は  どちらに向くのか?

私には出逢ってご縁つながった方々がお陰さまでたくさんあります。

時には共に喜び
時には共に悲しみ
時には道を踏み外そうとしたときに元の道に戻してくれる
叱ってくれる
方向を示してくれる

生きる仲間がいてくれます。
時には道を分つ別れもあり
変わり行く自分と共にいっしょに過ごす人も変化していっています。

人はうまくいってるときは調子よくつながりやおつきあいもつながっていますが
本当にピンチになったときに本当に叱ってくれて正しい道を教えてくれる人それでも側にいてくれる人にこそ
応援や信頼の循環が生まれます。

厳しい言葉は聞いた瞬間は痛みを伴うかもしれないけど
愛をもって繋がってくれている人こそ
本気で相手を思う言葉や行動ができます。

それは一歩踏み出せないときに背中を押してくれたり。
やりすぎているときに忠告として助言をくれて一旦休止を教えてくれたり。

きっとエネルギーを必要とすることを
心を込めて伝えてくれる人こそ
自分のことを心から想ってくれている人なんだと思います。

訪問看護では
壮絶な人生を歩まざるを得ない人たちとの出逢いがあります。
それこそご両親からの虐待や
生き別れや
死別。
想像を越える人生の物語をお持ちの方々にも出会います。

そんななかで語ってくださった言葉。
どうしてあなたはその壮絶な人生を乗り越えてこれたのですか?
その質問に

『なによりも有り難いと思ったのはひもじくて家の外で一人座っているときにあんパンをくれた近所のおばさんの愛情ったら本当に救われた。特別ななんかよりもあの   あんパンが小さな私を救ってくれたの❤️』

まさに
でっかいなにかとかお金とかそんなものよりも
あんパンなんです。
現実世界を生きるため今  お腹を満たす  という現実こそ未来を生きる希望になっていたのだとしたら。

私は今  目の前に出逢う希望を見失ってしまいそうな人たちに
お金でもなく
でっかい  インパクトあるなにかでもなく
キラキラする嘘であつらえた美しいなにかでもなく

あんパンを渡したい。

そう思います。

どうしてもヒーロー願望が先立ちすぎて
カッコいい贈り物をしたり
大きなお金や結果出せるものを渡さなければならないとおもってしまったり
デッカイなにかを渡さないといけないと思ってしまいがちだけれども。

ほんの   小さなささやかに思えるようなことであったとしても
相手矢印の愛は
小さな心のなかにデッカイ希望を与えることだってあるわけです。

なによりも
相手の置かれている立場を考えられるとか
相手のことを  想像できる想像力とか
相手のことを思いやれるだけの心の余裕であったり。

自己中心的な考えや

自分だけの損得勘定がベースにあって選ぶ行動では

 全く違う結果を渡します。

単なる損得勘定自分だけの得を求める行動は結局奪い合いの世界を歩むことになるだろうし

正解はなくとも相手のことを想像できる心をもって臨むことによって
相手にも届く想いは  必ず  あります。

この人は私のなにかを奪い取ろうとしている人なんだ…私のためといいながら自分の損得だけを追い求めているんだ…と思われるのか。
それとも
この人は例え自分の思う正解でないにしても自分に心を向けてそばにいてくれる人なんだ。
と思われるのかでは

その先の
いのち重ねる時間や世界が
大きく変わります。

助け合いの世界に身を置けるか?
それとも
奪い合いと孤独と不安の世界に身を置けるか?

選ぶのは
あなたの   行動。

そしてその根本にある
心の矢印です。

自分がヒーローになれるとおもって渡すあんパンか?

それとも相手のお腹をなんとか満たすための幸せを願った今  ここにある あんパンか?

きっとその先の受け取り手こそ
その渡してくれる相手の根本にある想いを
よりストレートに。
言葉や表面ではなく感覚として必ずや感じとるものだと思います。

心を向けようとしてできるものでもないかもしれないけど。
それでも私はひもじい女の子へあんパンを渡す気持ちで
愛を届け続けたいと思います。

世の中にはパンを渡すよりパンの作り方を教えなさい。という教えもありますが
それよりもなによりもまずはあんパンが必要な状況だって人には   あるわけです。

だからなによりも出逢う人に  愛をもって臨む。

どんなに裏切られようともどんなに諦めそうになっても。

愛の強さを信じて純粋に愛情を届けて いきたいと思います。

意識的に出来ることでもないかもしれないけど。
それでも私の  愛の体現方法を諦めることなく探しつづけていきます‼️

そんな気持ちにさせてくれる素敵な出逢いとご縁に心から感謝を込めて…♥️

幸せを願って✨

希望の唄♬

希望の唄♪

みなさんはファンキーモンキーベイビーズをご存知ですか?
残念ながら解散してしまいましたが私は 彼らの歌のエネルギュシュで明るい曲調となによりも歌詞が大好きです。
私の葬式にはぜひこの曲を流してほしいと思うくらい(本気‼️)大好きな曲に
“希望の唄”というのがあります。

もしかしたら恋の唄なのかもしれないけど
私にとってこの歌詞は
人と人が  出逢いご縁いただいたすべての人たちとの 間にある
見えないけどちゃんと”ある”
つながりのなかの
喜びや希望やお互いを  勇気づける力を現しているようにみえます。

『あなたが いてあなたといてこんなに幸せになるよ
忘れないで そのぬくもり他の誰でもない あなた
この世界で 一人だけのあなたに出会えた奇跡がこんな僕を勇気づける力が あなたにはあるの』

まさに訪問看護の現場に。
プライベートのご縁ある    出逢いと  つながりのなかに。

お互いを心から大切に思いあえる関係があるとしたら
そこには損得勘定抜きの純粋に相手の幸せを願う愛の循環があります。
それはまさに
諦めかけて   乾いた心に希望という 花を咲かせてくれます。
一方向ではなく双方向に勇気づける  力が  うまれます。

訪問看護のなかには
私たちが一方向に看護を提供して終わりではなく
みなさんの方からもたっぷり愛情を注いでもらえます。

ある人は
訪問途中自転車が壊れたスタッフのことを心配して電話をくださって。自分に出来ることはこれくらいだけど…とお知り合いの自転車屋さんを修理するなら顔聞いてあげるから!!とご紹介くださったり。

ある人は
私がバセドウ病だと知り治療方法や食事などの情報がつまった本を譲ってくださったり。
歌が得意な方は私の 健康を願ってライブで 自作の曲を歌ってくださったCDを聞かせてくださいました。想いを込めて私の知らないところでも私のことを思っていてくれる。こんなに 幸せなことはありません。

出逢った奇跡がこうやって患者と看護師を越えて
人と人として
つながれて
信頼できて想いを届けあえる。

こんな幸せな仕事はありませんね。

訪問看護は一方向に渡しておわりというものではなく私たちの方こそたくさんのプレゼントをもらいます。
それは
生きる知恵だったり
まっすぐ届けてくださる愛情だったり。

病気とか障害とか年齢とか学歴とか地位とか
そんなものをこえて
人と人としてつながり愛を循環できる希望が あります。

『あなたが いてあなたといてこんなに幸せになるよ
忘れないで そのぬくもり他の誰でもない あなた
この世界で 一人だけのあなたに出会えた奇跡がこんな僕を勇気づける力が あなたにはあるの』

この想いを届けに。訪問看護という仕事をとおして今日も皆さんのもとに向かいます♬

働く喜び♬  〜part4〜

https://kisekipleasurenakamurahiromi.blog/2019/07/20/働く喜び♬/

https://kisekipleasurenakamurahiromi.blog/2019/07/21/働く喜び♬%E3%80%80〜part2〜/

https://kisekipleasurenakamurahiromi.blog/2019/07/22/働く喜び♬%E3%80%80〜part3〜/

そして現場では看護師と利用者さんではなく
母としての子育ての先輩
長年つれそう夫婦のパートナーシップの先輩として
はたまたわかりかねる男心を伝授してくれる男性の心理評論家として(笑)
さらには社会人としての先輩として
そして歳を重ねていくことを先に身体で体験している先輩として

私たちのほうが教えていただくことが山ほどあるのです。

ある人はいくつになっても人は変われるという希望と可能性を生きる姿でみせてくれました。

ある人は孤独こそが身体や心を脅かしだからこそ 出逢う他人である私たちであっても愛情のやりとりはできるのだということ孤独ではないと思える安心を 例え 限られたいっしょに過ごす時間であったとしても創ることはできるのだということを教えてくれました。

ある人は息子から母へ娘から母へ嫁から義父への  無限大の愛を。大切な家族を看取るということを心の揺れもひっくるめて悲しいけどそれでもやりきることもできるというのを教えてくれました。

ある人は病気になり障害をもって見えた世界を私たちに教えてくれます。ふつうこそあたりまえこそ本当はすごく幸せであるということを語ってくださいます。

ある人は認知症になって新しいことが覚えられなくてもご自身の戦争体験から戦争は絶対にあかん。自由と平和がある今こそ幸せであるということを教えてくださいます。

ある人は他人からはじまった夫婦がお互いを思いやりながら最後の時間を過ごす姿から愛を育める喜びを教えてくださいます。

ある人は子どもの母への絶対的愛情の存在を子どもながらに健気な姿で教えてくれて自分のなかにもあった愛を思い出させてくれます。

ある人は亡くなってのちその   のこされたご家族さらに その先の仕事つながりまでご縁をつなぎつづけてくださってまさにいのちのバトンでご縁を  いまだに拡げつづけてくださっています。

ある人は死に様でこんな素晴らしい逝きかたがあるのかと死ぬことへ希望カラダへの信頼を教えてくださいました。

仕事を通してお金をいただきながら

厳しさ温かさ

ふがいなさ

悔しさ

コントロールおよばない出来事

思い通りにいかないこと

力不足…
罪悪感
劣等感
赦し
成長
魅力
人間力
進化
真実
誠意
つながり
幸せ
喜び

人体の神秘
希望
信頼


産まれること

生きること

死ぬこと


色んなことを教えてもらえて自分の人生までも豊かにしてくれる
働く喜びを体感させてくれる
この訪問看護という仕事が大好きです✨

そんなスタイル訪問看護ステーション
一緒に働いて下さる仲間を募集中です♬

正看護師作業療法士理学療法士
資格をお持ちの方でスタイル訪問看護ステーションに興味関心がありましたらお気軽にお問い合わせください。

働く喜び♬ 〜part3〜

https://kisekipleasurenakamurahiromi.blog/2019/07/20/働く喜び♬/

https://kisekipleasurenakamurahiromi.blog/2019/07/21/働く喜び♬%E3%80%80〜part2〜/

訪問看護の現場に
3歳で出逢った女の子は今 14歳になりました。言葉でコミュニケーションはとれなくても表情や彼女なりの意思表示のバリエーションが年々増えています‼️

泣き虫だった女の子は 泣くことではなく彼女の声で彼女なりの表現をしてくれて身体が大きくなったことだけでなく表現の進化で成長を見せてくれています。

そしてその娘を育てているお母さんの愛。これも また 私が もらう最大のギフトです。
不眠不休の介護を時には急変して命がけの救急搬送もお母さんが対応しています。
みんなとはちょっと違う成長だとしてもお母さんは小さな変化にも誰よりも  感度高くキャッチして声をかけて愛情を注ぎつづけている。
その姿に医療をこえて生きることの厳しさと優しさと尊さ 愛おしさを周りの私たちが  教わるのです。

そしてあたりまえに子どもと喧嘩できること。あたりまえに子どもの成長があること。いっしょに しゃべって想いを伝え会えることがどれだけ 恵まれているのか?教わると同時に
その私たちの子育てとは形はちがったとしても
親は子どもに愛情をそそぎながら子どもの成長と幸せを願っているという点ではまったく同じであり
病気や障害や健康は関係なく
愛情の循環が親子のなかにあるということを
色んな形で見せてくれて教えてくれます。

働く喜び♬ 〜part2〜

https://kisekipleasurenakamurahiromi.blog/2019/07/20/働く喜び♬/

昨日の記事に続き・・・

働く喜びの中には循環があります。

循環
それは
お互いのあなたのことが大切なのですよ~という 想いの  やりとり 行き来です。

産まれて43年足らずの私は
看護をお渡しする人生の先輩方から
生きる知恵をたくさん受け取ります。

人生の先輩といっても
生きた時間の長さではかるものではありません。
私なんかよりももっとずっと若くて私の人生の先輩の最年少は3歳の女の子だっています。
尊敬できる人という意味では
私が出逢う全ての人は年齢関係なく
輝くいのちをもった
人生の先輩たちです。

とくに私たち看護師は医療の現場に身を置くものとしてなんらかの病気や障害をお持ちであるからこそのご縁がうまれ出逢います。

人はなにかキラキラして憧れられるようなインパクトあることをしたりなんか でっかい結果や成果を出すから価値があるのではなく

産まれて生きて死ぬ
その人だけの物語を生きることに必ずや価値があります。
たとえ言葉がつうじなくても表情やもしかしたら誰かといのちの時間を重ねてきた思い出や出来事もなんなら 生きてそこにいてくれることそのものにその人にしかない価値があります。

さらに亡くなったのちにもその人を生きたという物語がいのちのバトンを渡していくことで死んでもなお その人にしかない価値があります。

そんなことを教えてくれるのが訪問看護の仕事です✨

ヒトの身体こそ 完璧なのかもしれない

ヒトの身体こそ完璧なのかもしれない

私は普段訪問看護師として
さまざまないのちの終わりに出逢います。

病院時代の『死』はとても怖いことだったし
その怖さも いのちが終わることの怖さというよりも
自分がその場面にあたってちゃんと対応できなかったらどうしよう?という自分が仕事として責任を背負うことへの怖さの方が大きくて逃げよう、避けようとしてきました。
なによりも人が死ぬこと。この世からその人の身体も心も声もなくなってしまうということを想像できていませんでした。

命を救うべき看護師の私にとっては、死はタブーであり、遠ざけるべきものであり、忌み嫌うものでした。
産まれてきたら必ず 100%人は死ぬということを直視することなく
救うことは学んでも、うまくいのち終えるため着地していくことは学んできませんでした。

なので私が見てきた医療や治療は

その人の生きてきた背景を考慮して、生きることの質を問いながら、治療を選択してもらうことよりも

命の時間をできるだけ長くすることしか、選択肢がなく

過剰な点滴や栄養が
お腹や胸や身体に水がたまり、むくんでしまうことになったり
痰が増えて吸引という処置が必要になってしまうなど
身体に負担のかかる医療があるということは、考えもしてきませんでした。

しかし訪問看護という仕事に出逢い

過剰な点滴や医療をしなくても
最後まで家族のつくったご飯を口にすることができたり
たとえ食べられなくなったとしても
不要な吸引や浮腫みなく
ほんとうに枯れるように

でも  とても美しいままで、いのちを終えていく方々に出逢い
医療のありかたを、根本から考えさせられる体験をしました。

すべての医療がいらないのではなく
感染症や手術など医学の発展のお陰で救われる命があるのも事実です。

医療に携わる仕事をしているということは
医療のメリットだけをおしつけて、こちらの思い通りにコントロールするのではなく
デメリットもきちんとわかった上で示して
今 必要なのは何か?きちんと選べるように選択肢を誠実に手渡すことが求められます。

さらに医療を受ける側も素人だから  おまかせではなく、自分の責任と判断のもと
必要な医療や治療を、自分が 選んで、自分が 行動していくという感覚を、育んでいくことも大切になります。

ヒトの歴史をみてみると
旧人類が登場したのが、大体50万~30万年前くらいといわれており
そこからでも もう 人類の歴史としては50万年くらいまえから
人々が産まれて、死んできたわけです。
医療の進歩や発展なんて、ほんの百年ほどのものだとしたら
50万年もの歴史のあいだ医療もつかわずに産まれて死んできたということで
ヒトは、おそらく遺伝子のなかに

きちんと
産まれて生きて死ぬ  ためのプログラミングも進化も、してきているように思うのです。
そうだとしたら、死ぬ力もきちんと 完璧に、私たち一人ひとりの身体のなかに備わっているのではないか?と思います。

まさに在宅での看取りは医療の力も借りますが
それよりもなによりも
自らが自らを癒して 生きる力と
家族や大切な人たちが癒して  生かす力を発揮しつつ

身体的な痛みや苦しみは西洋医学の力をうまくかりながら

完璧に死ぬ力も最期に見せてくださいます。

たくさんの大切な人に囲まれて旅立ちたい人はそんな時間や環境を選び

二人きりのお別れをしたい人はちゃんとお別れをしたい人と過ごす時間を選んで旅立たれます。

だれにも迷惑をかけず自分のペースで逝きたい人は家族のほんのわずか目をはなした時間に旅立たれます。

人の身体こそ完璧なのかもしれない

そう 信じさせてくれるような旅立ちに

ご縁をつないで 紡いで出逢ってくださった
たくさんの人生の先輩方から


人の死も自分の死も
みんな行く道なんだから
なんとかなるよ~
大丈夫!!と
言われているような。


そんな
身体のしくみも 生きる姿逝く姿で教えてくださいます。

教科書にもないし

死にゆくプロセスなんて死んだヒトにしか語れない話かもしれないけど

それでも訪問看護の仕事をとおして、ヒトの希望や可能性を日々教えてもらえる毎日が、面白くて、有り難くて、尊くて、幸せでたまりません。

これからもまだまだヒトの身体の神秘にふれつつ
現実の毎日のなかに仕事をとおして
安心や信頼を増やしていくお手伝いをしていきたいと思います。

そして今 目の前にある

あたりまえのいとおしい今日を
限りあるいのちの時間を重ねられている奇跡に感謝しながら


お一人お一人のもとに今日も向かいます♪

限りある いのちの時間

私は看護師として普段 訪問看護の仕事をしています。病気や障害をお持ちの利用者さんやご家族の生活の場である  ご自宅に伺い医療や看護を提供しています。

そんな仕事を  通して。

病気や障害   さらに  寿命って年齢もタイミングもなにも考慮されることなくいきなり  やってきて
その物語は誰一人として同じストーリーのないオリジナルであり
一人ひとりに
はじまるから終わりがある。
限りある いのちの時間があるのだということを 教わります。

病院看護師のときには
看護師としてたくさんの終わりを迎えるいのちを看てきていたにもかかわらず
私は『死ぬ』ということ『いのちの時間は有限である』ということ を どこか他人事として受け止めていて
どこかで自分の大切な人や自分のいのちは終わらないような
終わるとしてもまだまだ 遠い先の話だと勝手に   思っていました。

それが15年前の主人の白血病体験を通して
年齢や環境や置かれた状況に関係なく
ありえないようなタイミングであったとしても
病院や障害は自分事になりうるのだということを思い知らされます。

普段から病気や障害の方々と仕事として毎日関わり看護師として身近に知っているはずにもかかわらず
まさか自分の大切な人が死ぬかもしれないだなんて。
しかも新婚ホヤホヤ。お腹には赤ちゃんがいる幸せ真っ只中にやってきた出来事でした。

でもそのお陰で
限りがある”いのち”の時間がそれぞれのなかにあるということを知りました。

私はその終わりがいつやってくるかわからないからこそ
諦めたり遠ざけたり無いことにしたり怖がったりするのではなく
限りあるからこそ
自分も出逢い ご縁ある人も
重ねている いのちの時間を尊び
悩みごとに費やす時間よりも
笑顔や穏やかな時間や和やかな時間やチャレンジの時間を
少しでも 多く持てるように過ごしていきたいなぁ…

と思います。

そして在宅という場で   出逢うたくさんの利用者さんやご家族の大切ないのちの時間を
いっしょに重ねさせていただくなかで
誰一人として同じシナリオはない
いのちの時間に
いのちの
厳しさや儚さ尊さやいとおしさ
色んなものをギフトとしてうけとります。
嬉しい♪楽しい♪ばかりではないからこそ
現実の
生きる  いのち を
この目に心に  焼きつけて
バトンを渡していくことを託されているような気持ちにもなります。

“誠実でありなさい”
“愛をもって のぞみなさい”

まだまだたくさんの教えを体験とともに受けとるからには
私が仲介者となり
また   次の限りあるいのちの時間を生きる人たちに
渡していきたいと思います。

あなたの 大切な人とあなたが  重ねるお互いの限りあるいのちの時間をどんなふうに過ごしますか???

あたなの限りある いのちの時間をどんなふうに使いますか???